2009年12月11日

校長雑感「学級は間違えるところ」

 例えば、教師の力を強くして、指示や命令によって学級を動かした場合は、なかなか子ども達は個性を発揮することはできません。 個性を発揮させようとして「この時間は、あなた達が主役です。自分の思ったことをどんどん発表しなさい。 自分の思ったように学習を進めてもいいですよ」と教師が言ったとしても、子どもはますます疑惑をつのらせ、動こうとはしないでしょう。 「下手に動いたら、あとでどんな仕返しが待っているかわからないぞ」と、きっと見構えることでしょう。

 ある教育実践家が「学級は間違えるところだ」とする学級づくりを行っています。学級は正しいことを言うところではなく、 自分の考えた事を言いあい、認め合い、もっといい方法やもっと正しい考え方はないかと、 みんなで力を合わせて見つけ出していくところでなければならないと言っています。

 学級のどの子も「間違えて当然なんだ。だから学校に行って、みんなで智恵を出し合って正しい考え方を探しだすんだ」 という思いになった時、子ども達は安心して力いっぱい自分を出し切ろうとすることでしょう。 「学級は間違える所」という発想にたてた時、 学級の雰囲気とか風土のあり方に目が向き、子ども一人ひとりが生きる教育が可能になってくると思います。

 各学年で2学期授業研究が計画され、授業を見せてもらう機会が多くなりましたが、子ども達の元気な声・つぶやき・ 反応が聞かれることに安心を感じます。



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2009年11月16日

雑感「人生は80年の大マラソン!」

 花にはいろいろな花があります。チューリップのように、春になるとすぐ咲く花もあります。しかし、 全ての花がチューリップと同じだと困ります。それなのに、この頃の教育、特に家庭教育ではチューリップ型を好むようになってきましたので、 ダリヤ型の子どもをもっているお母さんはあせります。菊型の子どもをもっているお母さんは、なおあせります。 そして、 いろいろと手をかけます。夏が来ればダリヤは立派な花を咲かせますし、秋になれば菊も美しい花を咲かせます。そのごろチューリップは、 もう枯れています。チューリップはチューリップの、ダリヤはダリヤの、菊には菊の花が咲く時期があるのです。昔の方は、 このことをよく知っていました。そして、桃栗3年、柿8年、柚の大バカ18年と言っていました。 柚の大バカというのは軽蔑しているのではなくて、愛情をこめて、18年待ってやらなくてはと言っているのです。柚には、 桃や栗にはない独特の香りや味があります。花がみんなチューリップでは困りますし、果物がみんな桃でも困ります。ですから、 一つのモノサシで子どもを見てはいけないのだと思います。比較してはいけないのだとも思います。比較することは、 子どもの意欲を失わせる大きな要因の一つになります。

 でも、今の社会はなぜか桃栗型とチューリップ型の養成所のようにしか思えません。そして、 急ぐあまり豊かな香りと味をもつ柚の大バカが、排除されているのではないかと時々心配になります。

 人生は、80年の大マラソンです。小学1年でトップを走って、そのままトップを走り続けることは、あまりないことでしょう。 はじめはのろのろでも途中から走りだすケースもあります。

 

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2009年10月27日

校長雑感「子どもの側に立つ教育」

 勉強の不得意の子、友達の少ない子にとって、学校での救いは教師とのつながりです。それがわずかなものであればあるほど、 子ども達はそのわずかなつながりに執着します。教師がどれだけ自分の側にたち、自分のことにかかわってくれるか、 子ども達は懸命に察知しようとします。

 子どもの側に立つというのは、子どもに迎合するということではありません。教育の専門家として子どもを指導する役目を担う教師は、 子どもの側にたち、子どもの目で見、それを改めて教師の側から教師の目で見直して指導に生かさなければならないのです。

 しかし、実際にどれだけ子どもの側に立つことができるか、 はみ出した子や学習についてこれない子の存在をどれだけ自分の問題として考えることができるか、 そのことがまず問われなければならないのだと思います。

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